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[今回の取材先]
日産卓球スクール・日産スクールカップ大会
(成人男女・ジュニア男女)
[ハマスポWave記者]
2008年3月31日Up

小さなボールが描く世界への架け橋
Text:かぐや姫

 日本にはプロ野球がある、Jリーグがある。ファンが夢を託して応援するプロスポーツ。選手は期待に応えるために、自らのプレーにベストを尽くす。

 「卓球のプロ組織を作りたい」。永年その想いを胸に温め続けているのは、横浜市卓球協会会長の河原智さん。河原さん自身も現役時代は世界選手権日本代表として活躍。引退後は日本ナショナルチームの監督を務め、一卓球人としての道を歩んできた。

 河原さんをはじめ、卓球に人生を懸けた男たちの思いが詰まった、ある一日を追った。

卓球のプロリーグ化を目指す河原会長

 3月下旬、横浜に桜の開花宣言が発表された日。新子安駅にほど近い日産横浜第一体育館で、日産卓球スクールカップ(オープン)ジュニア大会が開催された。初心者から全国大会出場レベルの選手まで、全国から集まった総勢480人の小・中学生たちが参加。日産卓球スクール校長の宮澤幸夫さんは、「今年で20回目を迎える大会です。最終的にはこの大会から、日本代表として世界に進出する選手が出てくれたら嬉しいですね」と話す。

 試合に先立って毎年恒例となっている、日産自動車硬式卓球部の選手たちと子どもたちが対戦するチャレンジマッチが会場を盛り上げた。子どもたちにとっては実業団でプレーする憧れの選手と勝負出来る、またとない機会だ。

 

 チャレンジマッチに参加した日産卓球部主将の三原孝博選手は、全力で向かってくる子どもたちのボールを真剣に打ち返していた。三原選手が卓球を始めたのは小学校4年生の時。

「子どもの頃、僕は水泳が大好きでした。幼稚園の時には東京都大会5位になったこともあるんです。それでも父親が卓球選手だったこともあり、卓球に変更を余儀なくされました(笑)」。

水泳を辞めるのが嫌だったという三原選手だが、次第に卓球選手として頭角を現すようになる。「全国中学校選手権で2位になったんです。その頃から卓球が楽しくなってきて、もっと日本の上のレベルでやりたいという気持ちに変わってきました」。

三原選手は大正大学を卒業後、日産自動車に入社。主将としてチームを引っ張りながら、平成18年は全日本卓球選手権大会男子シングルスベスト8の成績を収めた。三原選手はこれまでの人生の大半を卓球と共に歩んできた。

「卓球の魅力は…。僕ら選手はあんなに小さなボールを日々追い駆けて、どれだけ速いスピードで相手に攻撃されないように返球するかなど、頭を使いながら体を動かしています。卓球は繊細なスポーツだと言えますね」。

 選手になることを目指して練習に励む子どもたちに、三原選手から伝えたいメッセージがある。「どんなスポーツもそうですが、そのスポーツを好きになることが大切。選手になると勝つことを求められます。しかし今僕が思うのは、その試合に向けて自分がどれだけ出来たのかという過程が、スポーツマンにとって一番重要なのではないでしょうか」。

不断の努力の積み重ねは、必ず実りの時を迎える。進化し続ける、三原選手のこれからに注目だ。

卓球への想いを語る三原主将

 そして卓球界の「金の卵」もこの大会に参加していた。

中学男子の部で優秀した平野佑治選手。現在横浜隼人中学校の2年生で、日産ジュニアクラブに所属している。平野選手は小学校6年生の時に全日本ホープスで優勝、小学生チャンピオンの座に輝いている。しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。

 「小学校4年生で、足首の靭帯が3本断裂してしまったんです。それが全日本の2週間前で、出場しないと次のシード権がもらえなかった。病院で出場は不可能と言われましたが、僕は出たかった。リハビリをたくさんやって、ギブスをして試合に出ました。その結果、ベスト8でランクに入れたんです。それから5年生の全日本で2位、6年で優勝して、あの怪我を乗り越えたから、今続いているのだと思います」。

 今やオリンピックを目指すほど大きな存在となった卓球。幼稚園に通っていた時、たまたまマンションのレクホールに卓球台があった。「遊びでやってみたら面白かった」、それがすべての始まりだった。やがて小学生にして、日本の頂点を極めることに。

 「僕の持ち味は、最後まであきらめないで粘り強くやるところ。離されても動揺しないように精神面を鍛えて、ポーカーフェースでやります。緊張はするけれど、それは練習で自信をつけます」。

 卓球の強豪校の中には、十分な量の練習が出来る環境が選手たちに与えられている。しかし平野選手には、学業との両立が課せられているのが現状だ。それでも「短時間で集中してためになる、自分が納得する練習」を工夫して、日々こなしている。

 「オリンピックに出るためには人の倍、努力しなければならない。昔強くても、今弱い人はたくさんいるので、落ちないように必死でやっています」。

 卓球と出会ったのは宿命なのだろうか。幼い頃から厳しい勝負の世界に身を委ねている少年が、どんな記録を刻んでいくのか見守っていきたい。


オリンピック出場を目指す平野選手

 2月に中国で開催された世界卓球選手権で、日本代表は女子・男子共に銅メダルを獲得した。そしていよいよ来年、横浜に世界卓球が上陸する。日本が世界の強豪国と互角に勝負出来ることを証明し、卓球熱が徐々に高まりつつある風潮の中、横浜市卓球協会会長の河原さんは、卓球のプロリーグ化にはずみをつけたい、と力を込める。

 「例えばサッカーは強い選手が現役を引退後コーチになったり、子どもを指導したり出来る。そうやって自分が得た技術を継承することが、スポーツの世界では大切なことなのです」。

 河原さんが願う道を辿っている人に、この大会で出会った。日産卓球部でコーチを務める森本洋治さんは、現役時代の1996年から1999年に、全日本実業団選手権の団体戦4大大会を12連覇した「日産の黄金時代」を築いた一人。選手生活を終えた3年後の昨年から、コーチとして再び現場に立っている。

 「自分がやってきた卓球に、こうして携われるのは幸せなこと。今の選手たちには辞める時になるべく悔いの残らないように、精一杯やったと感じてもらえるようにしていきたいですね」。


日産卓球部の伝統を継承する森本コーチ

 子どもから大人まで、卓球は幅広い層の人たちに親しまれている生涯スポーツだ。しかし選手の目線で見ると、中学、高校と進学するにつれて、卓球から離れてしまうケースが多いという。選手が競技に集中して取り組むことが出来る、しっかりした土台がある環境。そして将来設計も見据えた道筋が整っていれば、「卓球に懸けてみよう」という気持ちを抱く人が、少しずつ増えていくかもしれない。

 卓球を愛するすべての人たちの夢をのせて弾む小さなボール。日本から希望という架け橋を渡って、世界に届きますように。その時きっと、我が国の卓球界は新しい時代を迎えている。



●体験取材の感想●

 今回の取材は、卓球に様々な形で携わっている方々にお会いできました。

卓球といえば福原愛選手が真っ先に思い浮かびますが、横浜市卓球協会の河原会長は、福原選手が在籍している早稲田大学卓球部の監督も務められています。来る5月21日〜25日、横浜文化体育館で「フォルクスワーゲンオープン・荻村杯2008」が開催されます。そして2009年4月には横浜アリーナで世界卓球が!日産卓球スクールの宮澤校長は、「スクール出身で、日産自動車卓球部の三田村宗明選手と森田有城選手に、ぜひ代表になってもらいたい」と期待されていました。そうそう、日産卓球部の皆さんカッコ良かったですよ〜。インタビューに登場してくださった三原主将は、「夢は2009年の世界選手権に出場すること。もうひとつはまだ独身なので結婚すること(笑)」と話されました。「私も!」とつい思ってしまいましたが、この日お世話になった皆さまの夢が叶いますように、お祈りしております。

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