[今回の取材先]
2008年4月12日 加藤博一さん追悼試合(横浜スタジアム)
[ハマスポWave記者]
2008年4月25日Up
背番号44の祈り
Text:ハマスポWAVE編集部
あなたはプロ野球が好きだろうか。もしそうだったら…ひいきのチームがきっとあるに違いないが、横浜ベイスターズを応援してきた一人が見つめた、ある日の話を聞いてほしい。
今シーズン横浜ベイスターズは、川崎から現在のフランチャイズである横浜スタジアムに移転して丸30年という、節目の年を迎えた。1978年当時、横浜大洋ホエールズの名で、横浜市民が待ち望んだプロ野球チームがやって来たのだ。
それから5年後の1983年、後に多くの人々が忘れることがないであろう、「記憶に残る選手」が横浜大洋のユニフォームに袖を通すことになる。その人の名は加藤博一さん。名選手であると同時に、現役引退後は解説者として活躍。明るく愛情に満ちた人柄は、プロ野球に携わる人たちからファンまで広く親しまれてきた。しかし今年の1月21日、悲しいニュースが流れた。加藤さんが天国に旅立って行ったという知らせだった。56歳という、あまりにも早い別れだった。
2008年3月18日、横浜ベイスターズは4月12日の阪神タイガース戦を、加藤さんの追悼試合として開催することを発表した。加藤さんは1970年にテスト生で西鉄ライオンズに入団し、1976年に阪神タイガースに移籍した。1983年には横浜大洋に移籍。加藤さんが在籍した思い出の2球団の対戦の日が追悼試合に決まった。そして3月28日、セ・リーグ公式戦が開幕した。

いよいよその日はやって来た。桜が散り、新緑の息吹を感じる爽やかな風が吹き抜ける中、横浜スタジアムのスタンドは満員の観客に包まれていた。球場では試合開始前にマウンドで投球スピードを測定してくれる、「スピードガンコンテスト」を行っている。今回は加藤さんにちなみ、「カトウ」さんか「ヒロカズ」さんか、いずれかの名前が付く11人のファンが選ばれる計らいがあった。
そしてグラウンドに加藤さんの家族が姿を現した。妻の晴代さんの胸には、満面の笑みをたたえた加藤さんの写真が抱きかかえられていた。二人の息子はそれぞれの手に、阪神時代の背番号32、横浜大洋時代の背番号44のユニフォームをしっかりと握り締めている。
マウンドにゆっくりと向かう3人。その両脇に、現在解説者の高木豊さんと屋鋪要さんが寄り添う。横浜大洋で共に闘った加藤さん、高木さん、屋鋪さんは1985年に3人で148盗塁を記録、「スーパーカートリオ」の愛称は今なお呼び継がれている。

高木さん、屋鋪さんは加藤さんへの思いをこう語った。
―― 高木さん
思い出は多すぎて分からないくらいあります。自分が最初にチームに来た時は皆から「ポチ」というニックネームで呼ばれていたのですが、博一さんだけ「豊」と呼んでくださいました。「これからチームの中心になっていく選手なのだから」と、よく考えてくれる人でした。良き友であり、言葉がなくても気持ちがつながっているかけがえのない人でした。
―― 屋鋪さん
1986年に盗塁王争いをしたことが一番の思い出でしょう。チームメートでしたが、お互いライバル意識があり、常に競い合っていました。それがあったから、スーパーカートリオ3人で148盗塁ができたのだと思います。ピッチャーのクセの見方もアドバイスしてもらったりしました。博一さんはオンとオフがはっきりしていましたね。普段はいつも明るく冗談を言ったりするけれども、一旦グラウンドに立ったら真剣な表情に切り替わる、そういう人でした。

マウンドに並んだ加藤さんの家族、高木さん、屋鋪さんがバックスクリーンを見つめる。カラービジョンに在りし日の加藤さんの映像が流れた。横浜、阪神の選手たちもベンチ前に整列して、加藤さんに思いを馳せているようだった。そして両チーム応援団が加藤さんの懐かしの応援歌を再現。最初に3塁側スタンドから阪神時代の応援歌が響く。それに応えるように、1塁側スタンドから横浜応援団の「ヒロカズコール」が。オールドファンには馴染み深い「蒲田行進曲」が、トランペットの演奏に乗せて流れた。目を閉じるとバッターボックスに加藤さんが立っているような、そんな熱い想いがこみ上げてくる。最後に黙祷が捧げられ、静まり返ったスタジアムに哀悼のサイレンが鳴り響いた。

プレーボール。この日横浜の石井琢朗選手は1回裏、自身の打席の応援歌に「蒲田行進曲」をお願いした。選手たちが特別な気持ちで臨む一戦。きっと加藤さんは青空の向こう側で試合の行方を見守っているだろう。
1998年、横浜は38年ぶりのリーグ優勝、日本一を成し遂げた。あれから10年。当時のチームの基盤を築いたと言われる大矢明彦監督は、昨年から再び横浜の指揮を執っている。大矢監督と解説者時代に“同僚”であった加藤さんは、生前に自身のコラムで大矢監督と斉藤明夫投手チーフコーチの「黄金バッテリー」で優勝争いを、とエールを送っている。
ペナントレースはまだ始まったばかり。再びハマに青い旋風が起こる時を、あの人はいつも変わらぬ優しい笑顔で待っていてくれる。だから願わずにはいられない。背番号44の祈りが届きますように、と。
【記者の感想】
横浜スタジアムは満員御礼、10年前の「ベイスターズ・フィーバー」を思い起こす、すごい熱気でした。なぜなら加藤博一さんの追悼試合であると同時に、阪神の金本知憲選手の2000本安打達成が掛かった試合だったのです。そして迎えたこの日の7回第4打席、王手を掛けてから19打席目。横浜寺原投手から打った打球はライト前に落ちました。この瞬間、史上37人目の大記録を達成。この時ばかりは敵・見方関係なく、スタンドから万雷の拍手が送られました。
試合の結果は…横浜は惜しくも敗れてしまいましたが、私は3人の選手に注目しました!
内川聖一選手。代打出場の機会が多い中、7番レフトでスターティングメンバーに。3安打の猛打賞で日々の努力の成果を発揮、レギュラー獲得に向けて前進!
村田修一選手。昨年のホームラン王は今シーズン厳しいマークが予想されますが、3回裏に一時勝ち越しとなる第3号2点本塁打を放ちました。新たな可能性を信じて、真っすぐに進んでほしいです。
仁志敏久選手。4回裏2アウト満塁、8回裏2アウト1−2塁の好機で凡退してしまいましたが、いつも冷静な印象の仁志選手が悔しさをあらわに。勝利への執念を感じました。この気持ちでチームを引っ張ってください!
☆
3月26日に引退を発表された桑田真澄さんの話の中で、「小さい頃から野球にいっぱい幸せをもらい、いい思いをさせてもらった」という言葉が心に残りました。きっと亡くなった博一さんも野球に幸せをもらい、その喜びを伝えようと奔走されたのではないでしょうか。すべてのプロ野球選手たちは、これからどんな未来を描いていくのでしょうか。その姿を見つめていくことが、私たちファンの幸せなのです。

「加藤博一」は私たちの胸に永遠に…
横浜スタジアムは満員御礼、10年前の「ベイスターズ・フィーバー」を思い起こす、すごい熱気でした。なぜなら加藤博一さんの追悼試合であると同時に、阪神の金本知憲選手の2000本安打達成が掛かった試合だったのです。そして迎えたこの日の7回第4打席、王手を掛けてから19打席目。横浜寺原投手から打った打球はライト前に落ちました。この瞬間、史上37人目の大記録を達成。この時ばかりは敵・見方関係なく、スタンドから万雷の拍手が送られました。
試合の結果は…横浜は惜しくも敗れてしまいましたが、私は3人の選手に注目しました!
内川聖一選手。代打出場の機会が多い中、7番レフトでスターティングメンバーに。3安打の猛打賞で日々の努力の成果を発揮、レギュラー獲得に向けて前進!
村田修一選手。昨年のホームラン王は今シーズン厳しいマークが予想されますが、3回裏に一時勝ち越しとなる第3号2点本塁打を放ちました。新たな可能性を信じて、真っすぐに進んでほしいです。
仁志敏久選手。4回裏2アウト満塁、8回裏2アウト1−2塁の好機で凡退してしまいましたが、いつも冷静な印象の仁志選手が悔しさをあらわに。勝利への執念を感じました。この気持ちでチームを引っ張ってください!
3月26日に引退を発表された桑田真澄さんの話の中で、「小さい頃から野球にいっぱい幸せをもらい、いい思いをさせてもらった」という言葉が心に残りました。きっと亡くなった博一さんも野球に幸せをもらい、その喜びを伝えようと奔走されたのではないでしょうか。すべてのプロ野球選手たちは、これからどんな未来を描いていくのでしょうか。その姿を見つめていくことが、私たちファンの幸せなのです。

