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横浜スポーツ史
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[2008年7月2日Up]
Vol.3 根岸競馬場よ、永遠に 〜横浜開港からたどる競馬の歴史〜

皆さんお元気ですか、キャプテンわんです!
4年に1度のオリンピックまでもう少しだね、何だかワクワクしてくるよ!
さて、前回の旅のおさらいをしてみよう!

テーマは“馬”だったね。
江戸時代の終わりに、外国人によって競馬が横浜にやって来たよ。
慶応2年(1866)、江戸幕府は日本で最初の近代競馬場となる根岸競馬場(横濱競馬場とも呼ばれていたよ)を作ったんだ!
今回僕は根岸競馬場にスポットライトを当てて、その歴史をたどってみたよ!


キャプテンわん     
根岸競馬場 「横浜スポーツ百年の歩み」 (「横浜スポーツ百年の歩み」より)


慶応3年(1867)、はじめての本格的な競馬のレースが根岸競馬場で行われたんだ。
さっそく見に行ってみよう!
場所は今の根岸森林公園あたり…。
外国人遊歩道に沿って歩いていくと、根岸の丘の上に競馬場を発見!
大きな楕円形の競馬場をいっせいに馬たちが走っていたよ!


風俗画報(257号)に載った根岸競馬場
(「横浜スポーツ百年の歩み」より)

 観覧席と馬場 「横浜絵葉書」
(「横浜スポーツ百年の歩み」より)

それからの根岸競馬場は…1年に2回、春と秋に競馬会が開かれて、とっても人気があったんだ。
時は明治時代、日本人で最初の馬主が登場 … いったい誰だと思う?
答えは西郷従道(じゅうどう)さん!あの西郷隆盛さんの弟さんなんだ。
従道さんは明治8年(1875)、愛馬ミカンに乗って見事に優勝したよ!
そして明治13年(1880)6月9日の春季根岸競馬の3日目、第6レースで、「天皇の花瓶賞」が行われたんだ。このレースは皆さんご存知の、「天皇賞」の起源となったんだよ。


しかし、やがて根岸競馬場に戦争の悲しい影が差し掛かるんだ。
昭和17年(1942)、第二次世界大戦が激しさを増す中、ついに競馬は休止となったんだ。
3年後の昭和20年(1945)、東京大空襲、そして広島市、長崎市への原子爆弾投下を経て、ついに日本は降伏文書に調印して長い戦争が終わった。
根岸競馬場は連合軍に接収されて、二度と競馬が開かれることはなかった…。


明治後期の春競馬の様子「市民グラフ・ヨコハマ」No.56 「横浜スポーツ百年の歩み」より

僕は今回の旅で、今という平和な時代を生きていることを幸せに思ったよ。
まさに8月の北京オリンピックは平和の祭典なんだ。
そんなことを心の片隅に置きながら、日本代表を一生懸命応援しようね!
それでは、また会おうね!


 

かもめの「ちょっと教えて!横浜今昔物語」

根岸競馬場の歴史を訪ねたキャプテンわん、今回は大切なことを学んだようですね。幕末の時代、横浜に居住するようになった外国人たちは、競馬をはじめ母国のスポーツをもたらしました。文久2年(1862)、横浜在住の外国人女性は12名だったと言われています。当時夫人同伴でやって来た外国人は、外交官や牧師でした。その中には文久3年(1863)、横浜にヘボン塾を開設したアメリカ人宣教師ヘボンや、アメリカ人医師シモンズの名前もありました。時を経て外国人女性の数は徐々に増えていき、生活の中で積極的にスポーツ活動を取り入れていきます。特に女性のスポーツとして人気が高かったものはテニスでした。そのことについては、今度キャプテンわんにタイムスリップして伝えてもらいましょう!
カモメ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

     

     

     

     

     

     

   
 




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